心配してるよ!いつも祈ってるよ!に、見返りを求めていませんか?
こんちはLavenderです。
今日は、
数日前に書いた内容に、
似ていますが、
自分の中で、
あれ?
違うかも...
と、ふと思った事です。
心配してるよ。祈っているよ!に、見返りを期待していませんか?
人に、親切にして、
その見返りが、
小さいと感じた時、
人は、損をしたように、
思ってしまう。
親切を受けた側も、
最初は、強く感謝するが、
回数を追うごとに、
感謝の気持ちが薄れる話を、
数日前のブログでしました。
では、
このような、
親切を受けた事が、
ありますか?
祈ってるよ。
心配している。
思っている。
応援してる。
まだ他にも、ありそうです。
とにかく、
こう言われたり、
言ったりしますよね。
私自身も、良く使うし、
言われたりします。
気持ちを伝えるには、
表情、態度だけでは、
限界があるし、
ましてや、
遠く離れた場所にいるなら、
声に出したり、
書いて送らないと、
伝わりません。
受け取った側は、
ありがたいし、
暖かい気持ちになったり、
心強く感じて、元気が出たりするものです。
ただ、
この言葉を使う側の方に、
時々、この人勘違いしているなぁ...と、
思う事があります。
それは、
発した、親切心からの、
「心配しているよ。
毎日祈っているんだから...。」
に対して、見返りを求める人がいます。
こんなに、心配してやっているんだから...。
こんなに、
神棚に毎日祈ってやっているんだか...。
だから、感謝しろ❗
と、心の中で思っている人がいるんです。
まあ、見返りに、
感謝の言葉だけで、
その言葉の発信者が、満足してくれるなら、
それは、
五分五分と、言う感じで、
何の問題も起こらないと、
思いますが、
一方的に、
心配し、神棚に祈っていた事を、
あたかも、
形のある、崇高な塊のように、
思ってしまうのか?
それを渡したのに、
「ありがとう」の一言で、
終わらされた...。
と、憤慨する人が、
実際いるんです。
♥️ Cancer Gift ♥️
相手を思い、勝手に、
こちら側から、発した言葉に、
相手の感謝を求めるのは、
間違っている。
それは、無償の愛であるべき。