本、SNSから学ぶHow to より、大切な事とは?

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

Twitterをしていて、

他の人の考えに触れる事って、

大切だなぁ・・・と、

思った話です。

 

本や、SNSから学べるHow to より大切な事がある

 

Twitterにせよ、

本にせよ、

 

自分以外の人の考えに触れると、

当たり前ですが、

 

あれ?

自分と違う考え方だな・・・(((^_^;)。

こういう風に思わないんだぁ・・・( ゚д゚)。

 

という驚きや、

発見があったりしませんか?

 

それを嫌がり、

自分の考え寄りの人としか、

付き合わないようにする人もいます。

 

それはその人にとって、

大切な事なのでしょうから、

否定はしません。

 

でも、私は凄く、

それが面白いと思うのです。

 

本や、Twitterは、

年齢も、性別も、

状況も違う人の考えに触れる機会を、

与えてくれる宝庫です。

 

勿論、中には、

受け入れたく無いような、

内容の文章や、

コメントに出会う事もたまには、

あります。

 

しかしそれも、

一人の人間の中から出て来た、

思いや、考えなわけで、

 

そこに至るまでの過程を

想像する機会になります。


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最近読んだ本で、

私が気に入ったのは、

 

 やまぐちせいこ著

“シンプル思考ですっきり身軽に暮らす”

 

という本です。

カラー写真がふんだんに挿入されていて、

 

雑誌の感覚で、軽く手にとって、

家事の合間に、

ソファーでごろんと横になって、

パラパラとめくるように読めます。

 

彼女はミニマリストであり、

ブロガーです。

 

物の整理整頓という共通項から、

 

近藤麻理恵さんや、

やましたひでこさん 

 

を思い出す方も多いと思います。

 

同じようなジャンルの本なので、

似てるなぁ・・・。

 

と、思う部分もあります。

 

しかし、それって、彼女が、

パクったのではなく、

 

長年整理整頓について、試行錯誤し、

実際に試した結果導かれた方法なんです。

 

他の整理整頓を仕事とされている方々も、

同様に、長い時間をかけて、

たどり着いた方法。

 

それがたまたま、

一部被る部分がある。

というだけ。

 

その被った部分こそ、

整理整頓の神髄

といえるのかもしれません(⌒‐⌒)。

 

世の中には、

How to本が溢れています。

 

それを、

その通りにやってみようとしても、

 

なかなか上手くいかない。

その通りの結果が得られない。

 

と、思いませんか?

 

私は、単純なので、

試した経験があります。

何度やっても上手くいかず、

 

このやり方が、

私に合わないだけ...。

 

と、また別の本を買ってしまう( *´艸`)。

 

考えてみたら当たり前でした。

 

だって、別の人間が、

同じ能力を持っているわけでは無いので、

 

同じ単語帳を使って、

同じ時間やっても、

結果が違うことぐらい

容易に想像できますよね(((^_^;)。

 

置かれている状況が違うし、

世の中は、

刻一刻と変化しているのですから...。

 

その通りにならない材料は、

山のよう❗

 

なら、そんな本、

買う意味が無いのか?というと、

そうではなく、

 

その本に書かれている方法より、

重要なポイントを読む事が、

大切なんだと思うのです。

 

どこを読むのか?

 

それは、著者の考え方です。

 

先ほど紹介した、

やまぐちせいこさんの本には、

 

その方法に至るまでの、

彼女のと経験と、

彼女の思考が書かれています。

 

そのため、

彼女の方法を、

その考え方を使って、

自分の家の片付けに生かす事が出来るんです。

 

つまり、

そのまま完全に彼女のやり方を

マネるのではなく、

 

彼女の考え方を使って

それを自分の家に応用する。

 

という事が大切なんです。

 

しかも、

彼女の考え方の好きな所は、

 

“周囲の状況などの事情に応じて

臨機応変に決める。”

 

“良いと思う事をやってみて、

ダメなら元に戻せば良いだけ。”

 

という、

ゆるくも、それでいて、

どう考えたら良いのかを示してくれている所。

 

方法論も大切ですが、

それよりも、

どう考えると良いのか・・・。

 

がとても大切。

 

本を読んだり、人の話を聞くと、

その中にある、

 

著者の思考、

話者の思考

 

に、触れる事が出来ます。

 

そして、それを知った事で、

 

私の思考に、

新たな側面が生まれたり、

考え方に変化が現れたりする事が、

楽しいのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

💛 Cancer Gift 💛

沢山本を読んで、

人の話を聞いて、

方法論だけでなく思考も読む🎵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"マディソン郡の橋"は、皆の物語かも!納得した人生を送るためにすべき事とは...

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

先日テレビで見た映画、

マディソン郡の橋を見て思った事です。

 

マディソン郡の橋」は、私達の物語かもしれません。自分で納得できる人生を送るためにすべき事

 

この物語は、

 

夫と子供達が留守にした4日間に、

道に迷ったカメラマンの男性、

ロバートと、

その4日間だけ

不倫をしたフランチェシカの物語です。

 

どこにでもありそうな、

話ですよね。

 

しかも、

話の舞台は、

アメリカのど田舎で、

 

そこから話が始まり、

その地で話が終わります。

 

でも、これって、

どこにでも転がっているような、

 

普通の人々の人生そのものを

象徴していると、

私は思います。

 

勿論、皆が不倫してる。

と、言っているのではありません。

 

この世に生まれ、

気がつくと、大人になりここにいる...。

 

そういう普通の人生。

 

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フランチェシカが、

ロバートにひかれたのは、

 

彼が特別な人間だったからではなく、

 

仕事で世界中を旅し、

様々な経験をしてきた彼が、

 

アメリカの田舎しか知らない彼女にとって、

キラキラしていて、

まぶしく見えただけに過ぎないと思うのです。

 

人は、自分が持たない何かを持つ人に、

引き付けられます。

 

彼との時間が、

残り少なくなって来た時、

 

彼と共に行くか?残るか?

迷うフランチェシカ。

 

彼と行けば、

今までとは違う、驚きに満ちた、

冒険の日々が始まるんです。

 

では、彼女の日常は、

そんなに、

不幸だったのでしょうか?

 

私は、ロバートが現れるまで、

彼女は、自分が不幸だなんて、

考えた事は、無かったと思うのです。

 

鍵をかける必要も無いような平和な町、

体調が悪ければ、

誰かしら、食べ物持参で、

見舞いに来て助けてくれる。

 

夫は真面目で、良く働く。

10代の二人の子供達は、

もう、あまり彼女を頼りにしたりは

しませんが...。

 

それでも、

平和な、普通の家族団らんが、

そこにありました。

 

不幸どころか、

むしろ、幸せな人生と言えます。

 

結局、

フランチェシカとロバートは、

別れる事を選びます。

 

それでも、

まだ数日は、町にいるから、と、

含みを持たせてロバートは家を出て行きます。

 

ある雨の日、

帰宅した夫と

買い物に出かけたフランチェシカ。

 

まさにこの日、

町を出ていこうとしていた

ロバートと再会します。

 

正真正銘の、最後のチャンスです。

 

夫が運転する車の中、

助手席のドアノブを握りしめて、

迷うフランチェシカ。

 

ドアを開けて飛び出し、

ロバートの車に、飛び乗りさえすれば、

全てが変わります。

 

しかし、

結局彼女は、

そうしませんでした。

 

あの時、そうしていたら、

自分の人生は、

どうなっていたのだろう?

 

と、選べなかった人生を、

何度も何度も想像しながら、

 

彼女は、

残りの人生を同じ場所で、

同じ日々を過ごします。

 

しかし、

ロバートに出会う前の彼女の人生と、

ロバートと過ごす4日間を選んだ後の、

彼女の人生は、

やはり違っているのだと思います。

 

夫を看取った後、

ロバートの行方を調べましたが、

結局、見つけられませんでした。

 

夫の死から3ヶ月後、

ロバートの遺品が、

彼女宛てに届きます。

 

二人の人生が交わったのは、

たった4日間。

 

その思い出を胸に、

彼女は、残りの人生を全うしました。

 

今の時代なら、

カメラマンとして、

新聞社で働いていたほどの人なのだから、

見つけられたでしょうね...。

 

当たり前ですが、

人は2つの人生を生きる事は出来ません。

 

仮に、彼女がロバートと、

行く人生を選んだとしても、

 

彼女は、真面目な夫を裏切り、

子供達を残して行った自分を責めて、

悔やんだことでしょう。

 

平凡な人生であれ、

起伏の激しい人生であれ、

 

どちらを選んでも、

後悔がつきまとう事も

あるのかもしれません。

 

それでも私達は、選ばないといけません。

 

人生の分岐点で、

 

自ら、

一つ一つ選び取りながら、

前に進み、

 

そして、今ここにいます。

 

自分の力では、

どうにも出来ない事を除けばですが...。

 

今あなたは、幸せですか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

❤️Cancer Gift❤️

人生は、選択の連続で出来ています。

後悔を少しでもしないためには、

選択を人任せにしない事。

 

選択したら、誰かのせいにしない事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時代と共にマナーは変わる。自分の中に基準を持とう!人生相談から学べる事

こんにちはLavenderです。

 

今日は、今日の読売新聞の朝刊の、

人生案内を読んで、

思った事です。

 

時代と共に変化するマナーの基準を自分の中に持とう!人生相談から学ぶ

 

相談のタイトルは、

“食事中にスマホ息子許せぬ”

です。

 

結構どぎついタイトルですよね。

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高校3年生の息子さんが、

片時もスマホを放さない。

 

一番許せないのが、食事中のスマホ

画面を見ながら食べていること。

 

この相談に、

増田明美さんが答えていました。

 

彼女の回答は、

“貧しい国でも、

インターネットへの好奇心は万国共通と、

前置きし、

 

時代と共に、色々変わるが、

変わってはいけない物もある。

 

その一つが食事のマナーで、

食事を作ってくれた人に感謝しながら

みんなで会話を楽しむもの。

 

諦めずにそこを教えるように。”

 

という回答でした。

 

相談者の文中に、

『我が家は、テレビを見ながら食事をします。

 確かに、マナーは時代とともに変わる。

 昔は、食事中にテレビを見るのは

 マナー違反だと強く言われていた。』

 

とも、書いていました。

 

そもそも、

食事中テレビを見てはいけない。

て、誰が決めたマナーなのでしょうね?

 

いつから、この相談者は、

テレビを見ながら食べる事を

良しとしたのでしょうか?

 

『テレビを見ながら食べてはいけない!』

って、

 

強く言っていたのは、

相談者の親でしょうか?

 

相談者は、50代なので、

私と同じ世代。

 

つまり、

子供の頃に白黒テレビから

カラーテレビに移行し、

 

夕方には、海のトリトンマッハGOGOGO

お化けのQ太郎、ハイジ・・・。

 

が放送されていたはずです。

 

しかも、録画なんてできない時代なので、

オンタイムで見るしかなかった。

 

なら、この相談者は、

食事中に放送されたアニメを見たかったはず。

 

親に、

『見たい!!!』って、

主張して見せてもらっていたのかも?

 

もし、

食事中は見せてもらえなかったとしたら、

かなり不満だったでしょうね・・・。

 

それと似たような事なのでは?

と、私は思ってしまいます。

 

食事中のおしゃべりでさえ、

昔は、マナー違反だった時代がありますよね。

 

いまだに、

お寺の僧侶や、教会の修道士は、

食事中おしゃべりは禁止のようですが・・・。

 

しかし今は、友人、家族で食卓を囲み、

乾杯したり、会話を楽しみながら、

食事をするのがスタンダードになっています。

 

こうして、

どんどん時代の常識は変化しています。

 

それが良いか悪いか?

 

という判断基準は、

多様性の時代の今となっては、

無意味な気がします。

 

じゃあ、家族が食卓を囲んでいる時に、

スマホの画面を見続けたまま、

食べ物を口に運び、

咀嚼する様子を受け入れるのか?

 

これも、

やっぱりなんだか違う気はします。

 

相談者の息子さんが言う様に、

『動画サイトも。テレビも同じで、

 何処が悪いのか。』

 

確かに似たような物です。

 

では、増田さんの言う食事のマナー

 

『食事は作った人に感謝しながら

 みんなで会話を楽しむもの。』

と、息子さんに言って、

息子さんの行動が変わりますかねぇ・・・。

 

増田さんの、この文を読むと、

やっぱり、違和感があるんです。

 

マナーとか、

ルールって誰かが決めた基準ですよね。

 

そこに、それを守ろうとする人の考えや、

その人が大切にしたい思いが無いと、

 

ただの決まりになり、

 

押し付けのように感じます。

 

この相談者は、

 

家族の身体の事を考えて、

メニューを決めて、

新鮮な野菜を買いに行き、

時間をかけて調理した夕飯を、

 

美味しいね・・・。

 

と一言言って欲しい。

あるいは、言わなくても、

味わって欲しい・・・。

のでは?

 

あと、

皆で同じテレビ番組を見て、

一緒に笑ったり、感動したい。

 

内容を共有して、

互いに感想を言ったりしたい。

 

という思いがあるから、

食事中にスマホを見続けないで欲しい。

って事なのだと思うのです。

 

なら、それを息子さんに、

ルールとかマナーだとか言わずに、

そう自分の思いを伝えるべきだと思います。

 

ただここで、

ちょっと疑問に思ったのが、

 

スマホでなく、

教科書だったら?

問題集だったら?

 

それでもこの相談者は、

相談文を新聞社に送ったのでしょうか?

 

もし、送らなかったとしたら、

 

この相談者の食事中のマナーに対しての、

価値基準は、別の所にあるという事になります。

 

と、意地悪に人生相談を読むのも

ありかなぁ(^▽^;)?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

💛 Cancer Gift 💛

マナーも、

時代と共に変化する。

 

ただの良し悪しで、判断せず、

何故そうすることが求められるのか?

 

そこの基準を自分で持つ事が大切。

 

それが無いまま、

マナーだから、ルールだからと言っても、

 

誰も納得して守ろうとしない。

 

あなたのこだわりは、自分の中の常識によって作られている。味覚の許容範囲の半径を広げよう!

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

テレビをつけた時に聞いた、

 

『フランスには、各地に、地元ならではの、

 オリジナルな食べ物や、料理があるけど、

 スウェーデンではどうですか?』

 

との質問を聴いて、

あるドラマを思い出しました。

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スウェーデンでは、冬が厳しいので、

そのための食料の確保や、

保存に意識が向き、

地域毎の違いはあまり無いそうです。

 

ところで、皆さんは、

 

好き嫌いはありますか?

私は、幸い嫌いな物は少ない方だと思います。

 

イヌイットの食文化の一つに、

キビヤックとうのがあります。

 

アザラシのお腹の中に海鳥を詰めて、

それを長期間、土の中に埋めて、

熟成発酵させた料理です。

 

おそらく、これは、

その土地の人達のごちそうだとしても、

私は、無理かもしれません・・・(^▽^;)。

 

まあ、特殊な物を除いて、

だいたい平気なので、

 

旅行に行って、

現地ならではの食文化を楽しむのが好きです。

 

ただ、本当にそれを毎日の味として、

頻繁に食べられるか・・・。

 

と、なると、話は別です。

 

長く九州に住んでいた事があるのですが、

 

引っ越してまだ日が浅い頃、

とんこつラーメンを食べに行きました。

 

濃厚な白っぽい混濁したスープに、

硬めの細麺。

 

興味深々で美味しく頂きました。

 

しかし、なぜか、

そう頻繁には食べには行きませんでした。

 

ところが、不思議なものですね。

10年以上住んでいるうちに、

 

知らず、知らずに、すっかり、

とんこつの臭い、味に馴染んでいたようです。

 

九州を離れた後、

あの味をとても懐かしく思い出すんです。

 

ラーメンに限らず、

様々な、

九州の地元めしの味が恋しくなるんです。

 

この、味覚って厄介ですよね。

生まれながらに馴染んだ味。

おふくろの味。

 

これが、自分の中の味の基準になっている。

 

そこからどのくらい離れた味までが、

許容範囲なのかは、

その人次第です。

 

その半径が狭い人は大変です。

 

かなり昔の朝ドラの、

ごちそうさん を観られていましたか?

 

関東から関西に嫁いだ、

くいしんぼうの女性が、

 

なかなか関西の昆布だしの味に馴染めず、

苦労します。

 

そこで、空腹は最高の調味料

を実践し、長い断食の末、

 

やっと昆布だしの良さに気づきます。

 

その努力の様子を見ていた夫が、

丈夫で燃えないコンクリートの建造物に

こだわり過ぎていた自分に気づきます。

 

その時代に手に入りやすい材料で、

より良い建造物を作る努力をする事に

シフトして行く話です。

 

このこだわりを捨ててみる

 

という考え方は、

人を自由にしてくれます。

 

自分の中のこだわり=自分の中の常識

 

これを一度捨ててみる。

 

こうするだけで、

頭の中が、心の中が空っぽになって、

新しく、有益な情報や考え方が入ってきます。

 

さらに、この空間は、何故か、

空にした後、

大きくなるような気がするんです。

 

自分の小さな常識に囚われていた事に、

気づいた。

 

という成長が、頭の、心の許容量をひとまわり、多くしてくれるのかもしれません。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

💛 Cancer Gift 💛

こだわりを捨てて、

自分の頭に、心に空間を作ろう!

 

自然とそこに、

新しい何かが流れ込んで来るはず!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今死んでも良い!そう思うためのKeywordは、橋下徹の言う、完全燃焼と、もう一つあるのでは?

こんにちはLavenderです。

 

今日は、先日の林修の初耳学に出ていた、

橋下徹さんの話を聞いて、

思った事です。

 

今死んでも良い!そう思えるには、条件が必要!橋下徹さんの高学歴ニートへの授業で学んだ事

 

私、初耳学好きなんです(^▽^;)。

 

先日は、

久しぶりに、

高学歴ニートの方々への授業でした。

 

今回は、

大阪市長だった橋下徹氏が講師でした。

 

今、自分はここで死んでも良い。と思っている。』

 

と、切り出した橋下さん。

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どこかで、

死について、色々説いた本を書いたり、

講演されている方や、

お坊さんが、

 

実際、

病気になったり、高齢になって、

死が間近に迫ると、

 

それまで、

散々、えらそうな事言っていた人が、

 

死にたくない!死にたくない

 

と言う・・・( ゚Д゚)。

 

という話を聞いた事ありませんか?

 

橋下さんは、

ご自身が、言われた言葉の意味を、

こんな感じで、話されていました。

 

『最初は、弁護士として、

少年犯罪に全力で取り組んでいた。

 

それが、テレビ出演につながり、

 

それが知名度につながり、

 

若くして大阪府知事

大阪市長へとつながって行った。

 

こんな事は、

前もって計画を立てて、

計画通りに出来るような事ではない。

 

その時の自分がいる場所で、

その時の自分が出来る最大限の力を出し切る。

つまり完全燃焼する。

 

そうすれば、

いつの間にか次のチャンスが現れる。

 

そして、それまでに培った力で、

それをつかみに行く。

 

こうして転がる中で、

いろんな目標が出て、

 

そこでまた、自分が出来る最大限の努力をして、

完全燃焼する・・・。

 

その積み重ねで、ここまで来た。

 

まあ最後は、全力を出し切ったが、

選挙で負けた。

 

しかし完全燃焼したから、悔いは無い。

 

だから、今ここで死んでも良い。と、言える。』

 

と・・・。

 

ここまで聞いて、

 

「んっ?」っと、

ちょっと違和感が・・・^^;。

 

全力でやって、

完全燃焼したら、

 

また次のチャンスが現れたり、

次の目標が現れるんだから、

 

やっぱり、まだ死にたくない!と、

思うのでは?

 

置かれた場所で、全力を出して、

努力すれば、力がつく。

 

完全燃焼したら、次の目標に向かいたくなる。

 

そこに、新たなチャンスが現れる。

 

すでに力がついているんだから、

掴みに行く。

 

この繰り返しで、

人は成長してゆくのでは?

 

そして、人は、

その成長している高揚感が、

たまらないのでは?

 

その感覚が、“生きてる!!!!

って感じるのでは?

 

と、なると、やっぱり、

どのタイミングなら、

 

今死んでも良い!って思うの?

 

橋下さんも、おそらく、

今、

 

『余命1ヶ月です。』

 

って、宣告されたら、

 

『やっぱり、死にたくない!

 まだまだ自分はやれる!

 

 なんで、あの番組で、

 あんな事言ってしまったんだろう・・・?』

 

と、

夜中暗闇の中で、

死の恐怖におののきながら、

泣くと思うのですが・・・。

 

後悔なく生きる事と、

 

今死んでも良い!って思える事とは、

 

一致しない?

 

高学歴ニートの方達に、

彼らが50歳まで生きる25年を、

 

大金持ちの孫さんでも買えないだと、

称し、

 

『この貴重な時間を完全燃焼させて、

 死ぬ間際、俺の人生良かった!と笑いたい。

 よな!』

 

という言葉。

 

ひびきました。

 

この時の感情を想像すると・・・。

 

『やっぱり、

 死にたくは無い。

 

 でも、もう自分の命の灯が、

 消えかかっていて、

 それを覆すすべがもう無い。

 

 生きる事を諦めるしかないなぁ・・・(*´Д`)。

 

 まだまだやりたい事、行きたい所、

 見たい物があったけど、

 

 全力を出し切って、色々やってきた。

 楽しい人生だったなぁ・・・。

 

 もう死んでも良いっかぁ・・・。』

 

という感じなのではないのかなぁ・・・?

 

死の間際に、こうして、

自分の人生を肯定して、

 

笑って、今死んでも良い!って言えるための

 

条件は二つ

 

あるように思います。

 

一つ目は、完全燃焼

二つ目は、死の受容

 

だと思うのです。

 

完全燃焼については、

橋下さんの話で十分説明がつくと思います。

 

死の受容については、

先ほど書いたように、どんなに抗っても、

もう死が迫っている状況

なのだと、認識した場合。

 

もう、治療方法がなく、

奇跡なんて起こらない、

違いなく間もなく死ぬ。

という状況にある。

 

つまり、

死を受け入れる心の準備が整った時。

 

この二つが揃って初めて、

 

笑って、今死んでもいいやぁ・・・

 

になるのではないでしょうか・・・?

 

だとしたら、

やっぱり、不完全燃焼の人生を送ると

 

死に際、後悔するってことですよね( ゚Д゚)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

💛 Cancer Gift 💛

死に際に笑って、

自分の人生を肯定したいなら、

 

条件は2つ!!

 

一つ、完全燃焼する。

二つ、死を受容する。

 

さあ、やりたい事を精いっぱいやって、

完全燃焼しよう!!

 

 

刺青を入れて好きな事をして自由に生きる事を肯定するには、社会のルールを守る事が大前提!では?

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

病院からの帰り道、

不動産屋さんの前を通って、

ふとある人の事を思い出しました。

 

刺青を入れて好きな事で自由に生きる事と、社会の一員として生きる事に矛盾があってはいけない!と、思う。

 

私は、今アパートの二階住まいです。

 

そのすぐ真下の一階に、

つい最近若い男女が、入居されて来ました。

 

彼らが入居する一年半ほど前、

ある男性が一人で住んでいました。

 

思い出したのは、その男性の事です。


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彼が越してきて、

初めてお会いした時は、

 

ギョッ!Σ( ̄□ ̄;)と、しました。

 

年は40才くらい。

 

ギョッとしたのは、

刺青です。

 

長袖、短めの長ズボンのすそから、

刺青がはみ出していたのです。

 

でも、向こうから先に、

「お早うございます。」と、

明るく笑顔で挨拶してこられました。

 

いかん、いかん❗

人を見た目で、判断してはいけない。

と、反省(^^;

 

夏になると、

彼のお友達らしき方が沢山来られて、

 

アパートの前で、

ワイワイと、楽しそうな声をあげながら、

ケンカごっこの様な事をしていました。

 

えっ?ちょっと遊びにしては、

痛そう( ; ゚Д゚)かも...と、

心配になるくらい激しく、

パンチや、キック‼️

 

またもやこの時も、

私より先に、彼の方から、

 

『あっ!すんません。

 五月蠅くしていまって・・・。』

 

と、笑顔で言ってくれました。

 

この日、彼は、

ランニングに短パン姿。

 

肩から手首、

太ももから、足首まで、

びっしりと刺青が...。( ; ゚Д゚)。

 

またもや、ギョッとしましたが、

 

彼のお友達も、

笑顔で、ペコっと、会釈してくれて、

やっぱり、普通の若者達なんだ・・・。

と、思いました。

 

また別の日、

アパートの前で、

 

彼とお友達が、バイクを分解し、

そのパーツにサンドペーパーをかけたり、

磨いたりしていました。

 

何をしているのかを尋ねると、

 

「中古のバイクを安く手に入れたから、

 それを修理して、

 外観を格好良く塗装し直して

 売るんです。(⌒‐⌒)❗」

 

と、楽しそうに話していました。

 

その時、彼のお友達が、

手を動かしながら、

 

彼の経歴を勝手に、

色々話し始めました。

 

彼は中卒で、車の修理の会社に入り、

腕を磨いて独立し、

 

カフェや、クレープなどの

移動販売車を、

 

注文を受け、車を改造して作り、

それを販売していたそうです。

 

結構儲かる仕事なんだそうですよ。

 

写真を数枚見せてもらいました。

完成度が高く、

素晴らしと思いました。

 

そのお金を元手に、

格闘技を主に教えるジムをたちあげ、

ひと財産を作ったそうです。

 

それで、あの痛そうな、

ケンカごっこなんだなぁ(^^;と、納得。

 

娘さんが一人いて、

モデルの仕事をしているそうで、

その写真も見せてくれました。

 

私が、「わぁ、美人❗」と言うと、

嬉しそうに笑いながら、照れていました。

 

夏が終わり、秋が訪れた頃、

 

すっかり綺麗に塗装されて、

あとは組み立てたらバイクが完成?

と、思うくらいパーツが、

そろっていました。

 

しかし、

冷たい雨が、沢山降ったある日、

 

そのパーツが、

外に放置されたまま...( ゚д゚)ポカーン

 

さらに、数週間がたち、

 

綺麗な模様に塗装されていた、

プラスチック部分に

ヒビが入ってしまったパーツが、

 

強風に吹かれて、

ガラガラと音を立てて、右に、左に、

転がっていました(  ̄- ̄)。

 

その頃、下の彼がいる階から、

犬の吠える声が聞こえるようになりました。

 

このアパートは、

ペット禁のはずです。

 

そして、彼の部屋の玄関わきに、

みるみる段ボールや、

粗大ゴミが積み上がり始めました。

 

さらに3ヶ月くらいして、

下の階から、犬の鳴き声もしなくなり、

人の気配もなくなりました。

 

引っ越されたのかなぁ...?

 

しかし、相変わらず、

粗大ゴミは、山積みのまま。

 

ある日、

不動産屋の方が、

私の部屋のインターホンを押しました。

 

「最近、下に誰かがいる気配がしますか?

 全く...困りました。」と...。

 

この時初めて、

 

彼と不動産屋との間で、

トラブルになっている事を知りました。

 

「家賃を滞納してるし、

  ペット禁止を破るし、

 玄関前に粗大ゴミを放置したまま...( ;`Д´)。

 

「今後、裁判になり、

  しかも、解決までに半年以上かかるはず。」

 

「裁判が終わらないと、ゴミの撤去が出来ない。

 それまで、我慢して下さい。」

 

「その間、新しい人を入居させられない。

 大損害だ...。」

 

と不動産屋の方は、困っていました。

 

確かにその日から、

半年くらいたったある日、

きれいに、粗大ゴミが撤去されました。

 

結局丸々一年、

空いたままになったわけです。

 

人は見かけによらない。

 

刺青が全身にあるからって、

見かけだけで、悪い人。

 

と、考えるのは浅はかだと、

そう思います。

 

でも・・・。

 

今回の不動産屋さんとのトラブルの一件の事を考える時、

釈然としない気持ちになります。

 

やっぱり、人は見かけによるのかも・・・。

という思いが浮かぶ一方で、

 

ほぼ毎回私より先に、挨拶されていた、

あの彼の笑顔や、

 

暑い夏の日、

汗びっしょりかきながら、

 

お友達と楽し気に、

バイクのパーツにサンドペーパーをかけていた姿が、

 

今回の一連の流れと、

どうつながるのか全く想像がつかないのです。

 

ただ、

起きた事は、事実です。

 

しかし、彼には、

あれだけの集中力と、

腕があるのだから、

 

また車や、バイクの修理や、改造などをして、

彼なりの人生を生きているのだと、

 

勝手に想像しています。

 

しかし、

人に迷惑をかけるのは、

いかん(-_-メ)!!

~~~~~~~~~~~~~~~~

💛 Cancer Gift 💛

好きな事をして、

楽しく生きるのが、

人生を悔いなく生ききる極意だと思うけど、

 

自由のために、

人に迷惑をかけるのは、

ルール違反!

 

自由をはき違えてはいけない!

 

 

大人にとって都合の良いコンプライアンスを子供に押し付けたまま、不公平で理不尽な社会に放り出して良いの?

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

本屋さんで、

さるかにばなし

という本を手にとって、

????と思った話です。

 

ファンタジーの世界だけを見せておいて、いきなり理不尽な社会に放り出すの?

 

この本、猿蟹合戦のリメイク版?

 

しかし、似ていて非なる物です。

 

私の知る猿蟹合戦は、

サルが投げた固い柿に当たって、

お母さんカニが、死んでしまいます。

 

残されたカニの子が、

仲間と力を合わせて、

そのサルを懲らしめる話。

 

テレビのまんが日本昔ばなしでも、

 

カニのお母さんの甲羅が割れて死に、

その時生まれた子供のカニ3匹が、

仲間とかたき討ちをする話でした。

 

しかし、

最近の話では、

カニに協力する仲間の登場人物である、

栗、蜂、ウス、牛の糞から、

は削除されています。

 

汚いから、のようです^^;。

 

ネットで調べると、

どうやら、子供の絵本にも、

 

コンプライアンスという考え方が、

押し寄せているそうです。

 

確かに、合戦って、槍を持って、

『ヤー』って、

叫びながら敵に向かって行く戦争を

思わせる言葉です。

 

でも、

猿蟹合戦のお話がつくられた時代を調べてみると、

江戸時代ということがわかりました。

 

この時代の話なら、

親の仇を打つ

なんて珍しくなかったですよね。

 

お話の結末も、

猿蟹合戦の方は、懲らしめられたサルは、

命からがら、

どこかに逃げて行きますが、

 

最近のさるかにばなしでは、

反省したサルを許します。

 

今の時代の日本の常識に照らし合わせて、

昔ながらの猿蟹合戦のお話を、

子供達にするのは、いかがなものか・・・?

 

そう思った親達の要望にこたえた結果が、

さるかにばなし

なのでしょう・・・。

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昔のゲゲゲの鬼太郎を覚えていますか?

 

若い方達は、

初期の作品をご存知ないと思いますが、

 

本当に怖かったです。

絵も、色も、作品の中身も・・・。

 

作品の中に流れている、

人知の及ばない世界への畏怖や、

 

日本の八百万の神という考え方にも通じる、

 

生き物に限らず、

万物に宿る魂をないがしろにしたら、

そのつけを払わされるのだ・・・。

 

など、子供ながらに、

自分の良心を確認させられるような作品でした。

 

人として正しく生きていたら、大丈夫。

と思えた。

 

でも、たまに本当に悪い妖怪が出てきて、

無差別に地獄に連れて行かれそうになる話も

ありました。

 

これは、

どんなに真面目に一生懸命に生きていても、

 

世の中には、

悪い人もいたり、

不慮の事故にあったり、

災害にあったりします。

 

自分の力では避けられない、

理不尽な出来事が、

世の中には存在している事も教えてくれました。

 

これは、アニメなので、

そんな時は必ず、

正義の味方のゲゲゲの鬼太郎が助けてくれる。

という保証付きでしたが・・・。

 

でも、

当たり前ですが、現実の世界には、

ゲゲゲの鬼太郎はいませんよね。

 

子供達に、

世界は美しく希望に満ちている事を教えるとこは、

大切です。

 

しかし、同時に、

世の中は不公平な事もある。と、

少しずつ教える必要もあると思うのです。

 

小学校の低学年までは、

いじめの問題はほとんど無いでしょう・・・。

 

しかし、高学年になると、

一変します。

 

ここからは、成長と共に、

世の中の理不尽さに気づいて行くのです。

 

社会に出たら、不公平や、理不尽な事だらけです。

 

貧困、リストラ、パワハラ、終身雇用の崩壊・・・。

 

また猿蟹合戦の本の話に戻りますが、

 

幸い、今も昔ながらの猿蟹合戦の本は、

手に入るようです。

 

昔ながらの怖い話も、

親の采配で選択できるらしく、

そこは、とても良い

事だと思います。

 

孫が、もう少し大きくなったら、

二冊を、

読み比べしてみたいと思います。

 

そして、その時に、

この話がつくられた江戸時代の背景や、

 

その時代の常識と、今の時代の常識の差。

なども折に触れて話したいと思います。

 

世界は、常に動いていて、

時代と共に考え方や、

行動を変えて行く柔軟な姿勢が大切な事を、

 

幼い時から、

少しずつ大人が一緒に考えたりする中で、

 

理不尽な出来事をどうとらえて、

どう考えて、どう対処して行けば良いのかを、

考える力をつけてあげるのが、

大人の果たす役割なのではないでしょうか?

 

人種差別、貧困、いじめなど、

大人が説明するのを避けたい、

世の中の理不尽さを、

子供の前から消し去っておいて、

 

ファンタジーの世界だけを見せ、

大人になって、

いきなり社会に放り出すのは、

 

あまりに無責任な気がします。

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💛 Cancer Gift 💛

世の中の理不尽さを隠すのではなく、

一緒に考えて、どう乗り越えるのかを、

子供と共に模索しよう。

 

世の中の理不尽さに対処するための、

考える力をはぐくもう!