やりたい事は何?すぐ行動に移さないと、明日どうなるかわかりませんよ

こんにちはLavenderです。

 

今日は、幸せと、

後悔無い人生の関係を考えてみました。

 

やりたい事は何ですか?今すぐ行動しないと、明日どうなるかわかりませんよ。

 

人は、死が迫った時、

何に後悔するか...。

 

いくつかありますが、

一番後悔されるのが、

 

やりたい事をしなかった事。

 

だ、そうです。

 

人生100年時代と言われるています。

 

今健康な人は、

自分の寿命がいつ尽きるのか?

 

なんて、

あまり想像する事は、

無いでしょうね...。

 

やりたい事を、

多少先伸ばしにする事に、

不安を感じたりしますか?

 

私は、

2018年9月に乳ガンがみつかり、

2019年、一年かけて、

標準治療のフルコースをやっと終えました。

 

乳ガンは、

再発しやすい癌です。

 

以前の様に、

 

ずっと先の、

漠然とした未来を疑わない自分には、

もう戻れません。

 

なので、

死ぬ時に、少しでも、

後悔したくない!

 

どうすれば、

 

楽しい人生だったと、

自分の人生を肯定して、

終える事が出来るのか?

 

時々、

そんな事を真剣に考えたりします。   


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話は、変わりますが、

 

1994年のアメリカの映画。

トゥルー ライズを、

ご存知でしょうか?

 

家族にサラリーマンだと偽り、

秘密で、

CIA?FBI?の仕事をしていた男と、

 (アーノルド シュワルツェネッガー。)

 

平凡な、

退屈な日々を過ごしていた、

彼の妻と、一人娘の三人家族の話。

 

ある日、

事件に巻き込まれた妻と娘を、

 

夫であるシュワちゃんが、

助け出します。

 

結果、

 

家族に、

危険な任務につうている事が、

ばれてしまいました。

 

結局、

 

妻も夫と共に、

FBI?CIA?の、

危険な仕事をする事になります。

 

映画の冒頭の彼女の冴えない表情と、

 

夫と共に、

危険な任務についた、

彼女の生き生きとした表情の変化が、

 

スカッとする映画です。

 

彼女は、

冒険がしてみたかった。

 

しかし、

平凡だけど、

安定したした生活に、

 

波風立てる事に対する躊躇があった。

 

だれしも、

一歩踏み出すのは、

怖い。

 

変化が怖い。

 

だから、自分に、

 

色んな言い訳をして、

先伸ばしにしたり、

 

諦めたりする。

 

林先生の初耳学の、

高学歴ニートへの授業で、

 

乙武洋匡さんの授業がありました。

 

辛くても、厳しくても、

命を使いきった人生の方が良いのでは?」

 

そう言う乙武さん。

 

生まれた瞬間から、

ハードな人生の中に、

放り込まれた人生を生きて来た、

 

彼の言葉には、

重みがあります。

 

幸せを感じる時って、

どんな時ですか?

 

第一志望の大学に合格したとき?

 

プロポーズされた瞬間?

 

見たかった風景を見た時?

 

何かを作り上げた時?

 

有名なお店のラーメンを食べた時?

 

なかなか実現に手間がかかる物もある、

 

中には、自分一人では、

なし得ない事もある。

 

腰をあげさえすれば、

わりとすぐに手が届く事もある。

 

しかし、

どれも、共通しているのは、

 

自分が望んでいる事が、

実現した時って事。

 

それが、かなった時、幸せ!って、

感じるのだと思います。

 

だとしたら、

そうなるように、

一刻も早く、

 

行動を起こさないと...。

 

いつ、

災害に巻き込まれるか分からない。

 

事故に遭う事だってある。

 

若い時でないと、

なかなか出来ないような事だってある。

 

今健康だと思っていても、

半年後の検診で、

癌です。と、言われるかもしれません。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

死ぬ時、

したい事をしなかった後悔なんて、

したくない。

 

身体の自由が、

きかなくなった時、

 

やりたかった事を、

成し遂げた時の事を思い出し、

 

何度も、幸せな気持ちになって、

 

ニヤニヤしたい😁。

 

 

 

 

 

認知症の医者が認知症になり、見えていなかった景色を見た

こんにちはLavenderです。

 

今日は、 

認知症の第一人者だったドクターが、 

認知症になった話です。

 

認知症の医師が認知症になるまで、見えていなかった景色があった。

 

 

以前、

もの忘れがひどい人は、

痴呆と呼ばれ、

 

バカにしたような呼び方が主流でした。

 

それを、

認知症

と、言う言葉に変え、

 

認知症になっても、

個個人の

その人らしさ

を大切にする接し方が大切だと、

 

説いた先生がいらっしゃいます。

 

さらに、

その先生は、

 

早期のうちに、

認知症の発見に気付き、

状態を数値化する、

長谷川式簡易知能評価スケール

を作られました。

 

その方の名前は、

 

長谷川和夫 先生。

 

そんなすごい先生が、

まさかの認知症になりました。

 

その様子をドキュメンタリーにした番組を

先日見ました。


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番組冒頭、

先生がこう言われました。

 

「自分が認知症になって、

 想像以上の不安に...。

 生やさしい言葉で言えないと気がついた。

 当事者の心は、

 なってみないとわからない。」

 

この事は、

 

大病を患った経験のある方なら、

だれしも、

頷くと思います。

 

しかし、これは、

病気に限りませんよね。

 

いじめられている人の気持ち、

 

事業に失敗した人の気持ち、

 

家が無い人の気持ち...。

 

当事者に、

実際になった経験が無く、

 

外側にいる時には、

 

全く見えない景色...。

 

徐々に、

長谷川先生の、

病状が進行し、

 

デイサービスに通う事になりました。

 

椅子に座ったままの運動などを行い、

帰宅された先生...。

 

「もう行きたくない。」

と...。

 

実は、

先生が現役の医師の時、

 

家族の負担を減らすため、

デイサービスの利用を、

先生は、推奨されていました。

 

ところが、

いざ自分が利用者の側になると、

 

デイサービスにいる間中、

浮かない表情の先生...。

 

そして、

こう言われました。

 

「何をしたいのか?

何をしたくないのか?

そこからスタートした方が良い。」

 

(デイサービスの、

 個人の気持ちを無視し、

 一律に全員に、

 同様な行動を求めるやり方に対して、

 先生が、思った事のようです。)

 

まさしく、

先生が現役時代に大切だと説いていた、

 

その人らしさ

を大切にした治療...

 

を無視したものでした😥。

 

「誰とも、話をしなかった。

 孤独だと感じた。

 もう行きたくない。」

 

デイサービス実体験後の

患者としての先生の素直な感想でした。

 

もう行かないと言う先生に、

 

呆れかえり、

憤りをむき出しにする先生の娘さん。

 

『えぇ😓?お母さんに、

休憩してもらう時間が、

なくなるじゃない😡。

それでも、行かないって😩?』

 

「あぁ...。」

 

と、一言だけ返事をし、

娘さんから目を反らした先生。

 

私の祖母も、

介護施設に入所していますが、

 

手遊びや、

童謡を歌う時間などは、

ほとんど、

参加した事がありません。

 

やはり、

「幼稚くさい、

つまらない。」

 

と、言っていました。

 

いつも自室で、

和紙人形を作ったり、

川柳を詠んでいました。

 

長谷川先生は、

現役時代、

デイサービスの中身まどは、

研究されていなかったのでしょうか...?

 

それとも、

これで良いと、

感じていたのでしょうか...?

 

これもまた、

患者さんの立場に、

実際にならなければ、

分からない事、

気づかない事なのでしょうか...?

 

だとしたら、

 

認知症の研究に、

人力された長谷川先生の、

 

この貴重な、

先生の体験と、

先生の言葉の記録を、

 

未来の認知症治療や、

デイサービスの在り方に、

生かして欲しいと思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

医者だって人間。

万能ではない。

 

立場が違うと、

気づかない事がある。

見えてない景色がある。

 

だからこそ、

丸投げせずに、

 

自分の考えや、

思いを正しく伝える事、

 

疑問をぶつける事が大切。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

患者はこの世を去る恐怖を抱えているが、支えている家族だって、失う恐怖を抱えている!

こんにちはLavenderです。

 

長い風邪を引いていました。

なかなかきつかったです😰。

 

今日は、

昨日、夫と見た、

 

林先生の初耳学

から、

 

思わぬ話になりました。

 

患者は去る恐怖を抱えているが、支えている家族だって、失う恐怖を抱えている!


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今回の番組の後半は、

高学歴ニートの授業でした。

 

以前、この授業で、

大阪府知事橋下徹さんが、

 

「私は、全力でやりきった今、

 死んでも良い!」

 

と、言ったのを思いだし、

 

急に涙が込み上げて来ました。

 

夫 「どうした?」

 

私 『...と、橋下さんが

   言っていたのを思い出した。

   病気でもない人間が、軽々しく、

   死んでも良いなんて、

   言うな!😡って、

   悔しくて涙が出て来た。』

 

夫  「それは、人はいつ死ぬか分からない

   から、死ぬ時に、後悔しないために、

   今全力で生きなさい!って、話だろ?」

 

私 『分かってるよ!。

   でも、全力出しながら

   日々暮らしていたって、

   本当に、死にそうな状況に

   陥ったら、

   死にたくない!って、

   思うクセに...😔。

   何をしても、

   目前に迫って来た死を 

   回避出来ない人もいるのに、

   軽々しく言うな😡!って、思う。』

 

夫 「いつも、そんな風に、

  自分の状況や、

  Twitter内の知り合いに照らし合わせて、

  物事をとらえていたら、

  疲れちゃうよ。」

 

私 『分かってるよ! いつも考えている

   わけじゃないもん!

   ただ、再発した時に、

   自分がどうなるのか、

   知っておきたい。

   それに、Twitterでは、

   私だけでない...って、思えるし、

   皆辛い気持ちを抱えながらも、

   頑張っている。

   前向きになるためのヒントがもらえる。

   時には、辛い気持ちを吐き出して、

   励ましあったりしてるんだよ。』

 

夫 「そっかぁ...分かった😌。

  それは、大事な事かもしれない。

  同じ立場に立たないと、

  Lavenderの辛さは、

  分かってあげられないからなぁ~。😩」

 

私 『私それは、望んでないよ。

   だって、私の考え、辛さ、悩みに、

   寄り添うためには、

   同程度の癌患者にならないと

   無理だと思う。

   そんな事を、私は、全く望んでないよ。

   私は患者として死の恐怖を抱え、

   夫くんは私を失う恐怖を抱えている。

   立場が違うんだよ。

   私寄りになったら、共倒れになる。』

 

夫  「その通りだね。だから、

    互いに、一緒にいる時間、

    極普通の毎日を、悔いなく、

    楽しく凄そうな。😊」

 

と、言う話で、この話は終了しました。

 

この後は、

夫がしているオンラインゲームの話や、

 

新年すぐに、会った、

私の従姉一家の話をしてから、

寝ました。

 

熟睡できました😊。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

共通の問題に取り組んでいるけど、

私は乳ガン患者。

夫は、患者である私を支える家族。

 

しかし、

私を失う恐怖と、悲しみと、寂しさを、

背負っている夫の気持ちを、支えるのは誰?

 

それは、

患者だけど、妻の私の役割なんだと、

思うのです。😌

 

支えてもらう立場でもあるけど、

夫の気持ちも支える側でもある❗

 

そのためにも、

こうして、

 

互いに思っている事、

感じている事、

を伝え会い、

知っておく事が大切だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の悩みの大きさを、他の人の悩みと比較してしまう?

明けましておめでとうございます。

 

Lavenderです。

 

良ければ、

今年も、私のblogにお付き合い下さい。

 

今日は、

LINEで、年始の挨拶を送り、

その返信を受けて、

思った事です。

 

自分の悩みの大きさを、誰かの悩みと比較してしまう?

 

私は、5年ほど前から、

少しずつ、

新年の挨拶を、

年賀状から、LINEや、メールに

シフトしてきています。

 

今年は、

新年の挨拶と共に、

 

私が、去年一年間、

乳ガン治療に奮闘した事を友人全員に、

カミングアウトしました。


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本当は、

乳ガンが見つかったのが、

2018年9月末だったので、

 

一年前の年始の挨拶で、

乳ガンになった事を伝える機会はありました。

 

しかし、

その時、うち明けたのは、

数名の友人だけ。

 

2018年11月から、

抗がん剤治療がスタートし、

 

副作用のため、

体調が悪く、

 

沢山の長い文章を書く事は、

体力的にきついと言う事もありました。

 

しかし、

一番の理由は、

それではありません。

 

何人かに、

病気の事を伝えていたやさき、

 

仲の良い友人の一人に、

 

「死を身近に感じて、毎日泣いていた。」

 

と、話した時、

 

『私なら、そんなに、悲しく思わない。』

 

と、言われたのです。

 

あまりに、びっくりして、

「そうなんだ...。」

しか言えませんでした。

 

この事があって、

もう、他の友人に伝えよう...。

 

と言う気持ちに、

ストップが、かかりました。

 

頭の中で、

 

伝えた後、

どういう反応が反って来るのかを、

想像してしまいました。

 

「毎年健康診断に行っていたんでしょ?

 なんで、

そんなに悪くなるまで見つからなかったの?

 

なんで○○病院にしなかったの?」

 

もっと○○していたら、良かったのに...。」

 

などの、たられば話や、

過去の私の決断に対する質問が来たら、

 

非常に精神を消耗するだろうなぁ...。

 

たとえ、

どんなに、私の事を心配して

発した言葉であっても、

 

そのような質問や、

過去の、変えられない事への、

アドバイスは、

 

聞くだけで、

心がざらっとすると、思いました。

 

もう、伝える気になれませんでした。

 

2019年は、

抗がん剤→ハゲになる→手術→放射線

分子標的剤点滴と、

標準治療を走り抜けた一年でした。

 

このような中、

同じように、乳ガンの友人も出来ました。

 

Twitterも始めた事で、

乳ガンや、他の癌を患う仲間とも繋がり、

 

心が元気を取り戻して来ました。

 

今なら、

あまりされたくない質問にも、

たらればにも、耐えられるし、

返事ができそう...。

 

そう思い、

やっと、今年の年始の挨拶の年賀状、

LINE、メールで、

 

今までの話を友人達に、

知らせる事が出来ました。

 

すると、

私の、

LINEのタイムラインを

チェックしてくれている友人達から、

 

「全く気づかなかったよ...。」

 

「いつものように、

あっちこっちに出かけていて、

楽しそうで、

元気なんだと思っていた。」

 

との返事を寄せてくれました。

 

抗がん剤中も、ふさぎこむのは、

精神面から良くないし、

 

運動しないと体力が落ちる...。

との、思いから、

 

副作用で気持ちが悪い中でも、

 

極力外出して、

散歩したり、

珍しい物、綺麗な物に目を向け、

写真を撮りました。

 

その写真をLINEのタイムラインに載せ、

行った場所の記録と、

写した写真の話をupしました。

 

読み返した時、

体調が悪い事を思い出したくなかったので、

 

体調の事は、

一切書きませんでした。

 

それを、

寝込んでしまった時などに眺め、

 

楽しい記憶で、

自分を励ましていました。

 

なので、

 

私が乳ガンだと

知らせていない友人達が、

 

私の、LINEのタイムラインを

チェックしてくれていても、

知らなくて当然なんです。

 

そうなんです。

 

何かで、

知る機会が無い限り、

 

誰しも、他の人が抱えている悩みに

気づく事は無いんです。

 

仮に、

多少噂などで、

知っていたとしても、

 

その人の背景まで、

詳しく知らないまま、

 

私の方が大変...。

 

私の方がまだ、ましかも...。

なんて、

 

人と自分を比べるのって、

意味の無い事なんです。

 

乳ガンになり、私って可哀想😭。

 

あそこを笑顔で、歩いている、

私と同年代のあの女性は、

幸せそう...。

 

私は、不幸だ...。

 

なんて、

乳ガンになった当初、

よく思っていました。

 

私は、

あの女性の事を何も知りません。

 

過去に辛い何かがあったばかりかもしれない、

 

今も、何か悩みを抱えているかもしれない、

 

同じ病を抱えている人でさえも、

様々です。

 

20代なのか?70代なのか?

 

支えてくれる家族がいるのか、

いないのか?

 

子供が生まれたばかりなのか?

成人しているのか?

 

治療を受けるお金の心配がいらないのか?

不安なのか?

 

これをどうやって比較して、

自分の方が不幸...とか、

まだまし...とか、言えるのか...。

 

私が言った、

「死を身近に感じて、毎日泣いていた。」

に対して、

 

『私なら、そんなに、悲しく思わない。』

と返した友人の、

 

何を私は、知っていると言うのでしょう...?

 

私の夫の転勤で、

彼女と遠く離れ、

 

すでに、7年たっています。

 

3~6ヶ月程度の電話での彼女しか、

知らないのです。

 

私に言わなかったり、

言えなかった事が、

あったのかもしれません。

 

人の人生と、

自分の人生を比べる事自体、

意味が無いし、

 

時間と、精神の消耗につながり、

無駄なんだと、

やっと思えるようになって来た私です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

人生通して、

悩みの無い人なんていない。

 

どの問題も、

その当事者にとっては、

最大の悩み。

 

それを、

自分の悩みと比べる事に、

意味は無い。

 

無駄な事に時間を費やすのは、

やめて、

 

自分の人生を輝かせる方に、

時間と心を使おう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せな人生だった!と言うためには、結果を出す必要がある?

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

結果を出す

についてです。

 

幸せな人生だった!と、言えるのは、結果を出した人?

 

私は、

乳ガンだとわかる前は、

 

自分の人生の終わりは、

遥か向この見えない先にあると、

思っていました。

 

私は、

何かを成し遂げた!と、

言えるような物が無いし、

 

結果を出した!と、

言えるような物も無いです。

 

でも、

好きな事、興味のある事を、

楽しく続けて来ました。

 

焦ったり、

不安になったりしなかったのは、

 

自分に与えられている、

命の時間が、

まだたっぷり残っていると、

思っていたからなのかなぁ...?


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2018年9月に、

乳ガンがみつかり、

 

自分の人生の、

残り時間を意識した時、

 

あれ?

 

残りの時間で、

私は何をすれば良いのだろうか...?

 

何か結果を残すような事を、

すべきなのだろうか?

 

と、ふと考えました。

 

そもそも、

結果が出せた...

結果を残せた...

 

とは、どういう状況の事なんだろう...。

 

アインシュタインのように、

凄い理論を発見する事?

 

レオナルド・ダ・ヴィンチのように、

名画を描き残す事?

 

イチローのように、

すごい記録を残す事?

 

ここまで凄くなくても、

 

この人は、

結果を残した!

と、言われる方々は、

沢山います。

 

確かに、

結果を残した方々の功績は、

素晴らしく、

称賛に値しますし、

 

彼らは、輝いて見えます。

 

しかし、

 

人は、

何らかの結果を出すために生まれ、

生きているのでしょうか?

 

私は、

何のために、

生まれて来たのか?

 

私は、

何のために、

生きているのか?

 

辛い局面にぶち当たった時、

つい考えてしまう問いです。

 

私が、一番しっくりくるのは、

 

人は、幸せになるために生きている

という事。

 

人によっては、

 

結果としての、

 

建造物を残す事、

絵画を残す事、

理論を残す事、

名を残す事にこだわっている人も

いるかもしれません。

 

しかし、

それは、

 

高い目標を掲げ、

 

それに向かって、

努力し、

 

それを成し遂げたい時、

 

自分は、成し遂げた\(^-^)/!

 

と言う、

 

この上ない

幸福感を得るために、

一生懸命に生きているのだと思うのです。

 

やっぱり、

幸せになりたいから

頑張って生きている。

 

そして、

その努力に、

結果がついてきたのだと思います。

 

では、

幸せになるために、

頑張っていたけど、

 

それが、

結果として、

形に残らなかった方達は?

 

そういう方は、

自分の人生を、

どう捉えているのかなぁ?

 

死の間際、

結果を残せなかった人生を悔やむ?

 

錬金術の研究が盛んだった時代、

沢山の人が、

 

物質を金に変える事を夢みて、

研究をしていました。

 

そんな研究は、無駄だから、

さっさとやめた方が良い!

と、外野に言われた事でしょう...。

 

それでも挑戦し続けた人々...。

 

勿論、

後に、科学の進歩により、

 

錬金術は、

不可能と論理的に証明され、

その研究は、単なる夢物語に終わりました。

 

しかし、挑戦した人々は、

幸せだったと思うのです。

 

死の間際、

してしまった後悔より、

しなかった後悔の方が遥かに大きい。

 

と、聞いた事があります。

 

それに、

錬金術の研究中、

色んな発見があったりして、

 

ワクワク、ドキドキしたことでしょう。

 

世界中が称賛するような、

結果を残し、

 

皆に祝福されれば、

 

それまでにかけた長い時間と辛い努力が、

報われて、

 

大きな幸せに満たされ、

最高の気分を味わえると思います。

 

しかし、

そのように、

上手く結果に結びつかなかったとしても、

 

興味がある事を、

好きな事を、

 

誰がなんと言おうと続け、

 

目標を定め、

一つ一つ乗り越えるたびに、

 

自分の成長を感じ、    

そこに幸せを感じる。

 

結果が出せたから、

幸せになるのではなく、

 

自分の意思でやり続け、

 

わずかずつでも、

成長している自分に気づいた時、

 

ワクワクした時、

 

自分が定めた目標に達した時、

 

幸せに生きている!

 

と、言えるのではないかなぁ...。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

人生は、永遠なんかじゃない。

意外に短い!

 

大好きな事の目標を定め、

日々努力し、

自分の成長を感じる。

 

幸せを感じるように生きよう!

パワースポットと言われている場所に行ったからって、パワーがもらえるかは分からない!

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

パワースポットの話です。

 

パワースポットって何?パワースポットは万能じゃない?

 

日本には、

沢山の

宗教行事がありますよね。

 

私も、

 

初詣に行って、

おみくじを引いたり、

 

妊娠した時は、

戌の日に、腹帯を巻きました。

 

クリスマスが毎年楽しみで、

大きなツリーを飾っています。

 

普段は、イベントとして、

宗教の種類さえ意識しないで、

色々楽しんでいます。


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全く宗教心が無いのか?

 

と、問われると...。

 

多少は、

あるのかもしれません。

 

なんとも、

中途半端ですが、

事実なので、しょうがないです😅。

 

神社に行けば、

手を合わせて、

何かしら、心の中で呟きます。

 

毎年お墓参りに行きますし、

亡くなったご先祖様達に、

呟きます。

 

御守りをいただいたら、

大切に持ち歩きます。

 

このような、

程度で、いい加減です。

 

初めて、パワースポット

と、聞いた時、

 

スピリチュアル

な場所かなぁ?

 

胡散臭いなぁ...。

 

と、感じました。

 

さらに、その場を訪れていた女性が、

「この場に来たら、エネルギーが、 

身体の中に入って来る感じがしています。」

 

みたいな、事を話しているのを、

聞いて、

 

えっ?

益々胡散臭い...。

 

パワースポット=霊的な宗教がらみの場所

 

と、勝手に思ってしまいました。

 

でも...確かに、

 

鉛色の空の雲間から、

太陽の光が、柱のように差し込む、

 

天使のはしご

 

を見た時や、

 

戸隠神社参道に入ったとたんに、

うっすらと霧が立ち込め、

空気がヒンヤリし、

 

「おおぉ~」

 

と、思わず声が漏れました。

 

ただの自然現象と、

人工的に植林された並木道なんですけどね😁。

 

それでも、

特別な何かを感じ、

感嘆するのは、

 

人間特有の感覚なのでしょうか?

 

先日TVをつけたら、

長野県のアルプスに昇る

御来光を見に来ていた方々が映っていました。

 

休みなく働いて来て、

最近仕事が軌道にのり始めた分、

 

家族揃って過ごす時間が無くなり、

夫婦間もギクシャク...。

 

それに危機感を覚えた女性が、

仕事を休む怖さは、あったけど、

 

思いきって、

一日休みを取り、

家族で訪れていました。

 

家族四人で眺めた御来光...。

お子さんは、

「つまらない」と、言っていましたが😅、

 

ご夫婦は、

「来て良かった。」

 

と、晴れ晴れとした表情で、

話していました。

 

家族が揃って、

同じ場所で、同じ体験をする。

 

この事に、

とても意味があったんだと、

思います。

 

ある30代の女性は、

 

やりたかった、

絵本を作成する仕事をするため、

転職をしたばかり。

 

「この場所が好き。」

「この風景が好き。」

 

そう言って、涙を流していました。

 

この女性にとって、

大好きな風景が、

御来光が、

 

未来への不安に揺れる、

彼女の背中を、

優しく押してくれているのだなぁ...。

 

と、感じました。

 

これだぁ...。

パワースポットって、

これなんだぁ✨。

 

って、番組を見ながら思いました。

 

別に、

神社や、教会がらみでなくて良いのです。

 

自分が元気になれる場所、物、事

 

ざわざわした嫌な気持ちが、

静まったり、

 

萎んだ心が栄養で満たされるような、

感覚を覚える場所。

 

特に、

壮大な景色や、

巨大建築物が、

 

パワースポットとされるのは、

 

人の力では作り出せない、

自然への畏怖を感じたり、

 

人工的な物であっても、

長い時の中で受け継がれた技術や、

歴史の重みに意識を向けると、

 

誰が見ても、

驚き、感嘆するためでしょうね。

 

しかし、

 

いくらパワースポットと、

一般的に呼ばれている場所に行っても、

 

自分が、

何も感じなければ、

 

ただの風景であり、

建造物に過ぎない。

 

パワースポットは、

人それぞれ、

 

という事なんだと思います。

 

なので、

誰かのコンサートがそうであるかもしれない。

 

美術館が、

実家が...。

 

ピアノを弾く事が、

ある曲が、

 

ある写真が、

ある人が...。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

♥️ Cancer Gift ♥️

自分が元気を取り戻せる場所、

事、物、人を持とう!

 

そういう場所、

事、物、人に出会えるようは、

日々を送ろう🎵

 

 

 

 

 

 

 

ドレスコードは必要?ディズニーランドのドレスコードは誰が作っているの?

こんにちはLavenderです。

今日は、

ドレスコード

についてです。

 

ドレスコードを守るのは何のため?TDRドレスコードは誰が作ったの?

 

読売新聞の悩み相談に、

 

80才女性から、

ホテルでのドレスコードについての、

相談が寄せられていました。

 

その方が、娘さん夫婦と、

その夫側の母親と、

四人で行かれた、

旅行先のホテルでの話です。

 

娘さんの夫と、

その母親の服装が、

かなりラフだったようなのです。

 

それで、ホテル側に対して、

申し訳ない気持ちになった自分は、

 

考え方が古いのか?

 

と、言う相談内容でした。

 

娘さんの夫は、白い丸首のシャツ。

母親は、普段着っぽいシャツに、

Gパン...。

 

まぁ、本人達が良いなら、

別にそのくらい...。

 

と、思いながら、

 

作家出久根 達郎さんの回答を

読みました。

 

「ホテルに限らず、

その場にふさわしい身なりや言行はあります。

 

基本は、人の心を波立たせるまねは慎む、 

ということでしょう。

 

正しい、正しくないという問題ではないだけに、悩ましいことであります。」

 

と、書かれていました。


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今ふと、

先日家族で出かけた、

ディズニーランドでの出来事を

思い出しました。

 

花火を見て、

エレクトリカルパレードを見て、

 

クリスマスバージョンの、

プロジェクションマッピングを楽しみながら、

 

グランドバザールを、

出口に向かって歩いていたら、

 

えっ??

 

私だけでなく、

お嫁ちゃんも、

息子も、

 

一瞬立ち止まりました。

 

この日は、大混雑の日で、

大勢の方達が、

 

右に左に...。

 

その中から、

ほぼ、同時に三人が、

目を止めたのは、

 

ミニヨンズ

のポップコーンバスケット。

 

ディズニーランドで持ち歩く、

ポップコーンバスケットは、

 

ディズニーのキャラクターの物であるはず、

 

という、

固定観念に縛られている私達三人は、

 

一瞬で、

違和感を覚えたのでした。

 

ディズニーランドは、

夢の国です。

 

ポップコーン売り場の、

キャストさんは、

 

500円で、

快く、

そのバスケットに、

ポップコーンリフィルを入れたのだと、

思います。

 

そうでなければ、

 

閉園間際まで、

そのバスケットを首にかけたまま、

 

幸せそうに、

プロジェクションマッピング

見つめていないと思います。

 

それに、

何か注意をされていたとしたら、

 

リックの中や、

お土産の袋の中に入れて、

隠してしまうでしょう...。

 

彼らは、

別に悪い事をしたわけで無いし、

 

誰かを傷付けたわけでもない。

 

ただ、

夢の時間を楽しみに来ていただけなんです。

 

それなのに、

勝手に、ドキっとし、

ちょっと心配な気持ちになったのは、

私達の方。

 

ミニヨンズの

ポップコーンバスケットを見ても、

何とも思わない方達が、

ほとんどだったかもしれません。

 

この日、孫ちゃんは、

くまのプーさんの衣装を着て、

 

お嫁ちゃんと、息子は、

ミニーと、

ミッキーのカチューシャをしていました。

 

娘は、水色のコートに、白いパンツ。

雪の❄️結晶のデザインの

ネックレスをしていました。

 

完全にアナ雪を意識した服装です。

 

息子一家や、娘だけでなく、

ランドに来ていた多くの方達が、

 

そこで過ごす時間が、

より一層楽しく、

素敵な時間になるようにと、

 

それぞれ、

着る物や、

持ち物に工夫をこらしていました。

 

ディズニーランド側が、

ゲスト側に、お願いしているのは、

 

セキュリティの面から、

顔を覆ってしまうような、

被り物や、

 

武器になる可能性のある物の持ち込みなど、

 

の禁止くらいでしょうか...。

 

しかし、

開演当初から見たら、

 

ゲストの服装、持ち物は、

激変しましたよね。

 

ディズニーランド、シーの、

ドレスコードを作りあげたのは誰でしょう?

 

ゲスト側は、

自分達で、気分を盛り上げるために、

あの手、この手で、

イデアを駆使してやって来る。

 

その変化に、

ディズニーリゾート側が応じて、

 

カチューシャや、帽子、

服などを商品として、

園内で販売する。

 

そして、

その変化により、

危険が及ばないように、

新たに、ルールを追加する...。

 

もう一つありました。

 

ハロウィーンの期間のコスプレは、

ディズニー関連に限る。

 

と、あります。

 

ディズニーらしいハロウィーンの、

雰囲気を守るためのルールなのだと思います。

 

私が、

ミニヨンズに違和感を感じたのは、

 

このルールを知っていたから

かもしれませんが、

 

コスプレでなく、

ただのポップコーンバスケットでしたね。

 

過剰反応でした😅。

 

こんな風に、

ディズニーリゾートのドレスコードは、

 

ゲストと、ディズニー側、

双方により、

少しずつ出来上がって

来たものでしょう...。

 

では、ホテルは?

 

最初から、

ある程度、

 

お客さんには、

この様な服装で来てもらいたい。

 

と、いうドレスコードの基準を、

ホテル側は、持っているように思います。

 

そもそも、

ドレスコードって何のためかを考えてみると、

 

そこを訪れている人達が、

その空間を、

その時間を気持ち良く過ごすため。

 

ではないでしょうか?

 

ディズニーランドが、

1983年に開園した頃、

 

頭にドナルドダックの、

お尻と足を模した帽子をかぶり、

 

ディズニーキャラクターが、

大きくプリントされた派手な服を着ていたら、

 

かなり、

目立ったに違いありません。

 

やり過ぎでは?と、

眉をひそめる人も、

いたかもしれません。

 

つまり、

ドレスコードって、

 

自分がいる場所の空間の雰囲気に、

違和感なく溶け込んだ服装...

という事のようです。

 

先ほどの回答者の言葉に、

「人の心を波立たせるまねは慎む。」

 

とは、

このような事を

意味しているのかもしれません。

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♥️ Cancer Gift ♥️

場違いだと感じ、

窮屈な思いをするくらいなら、

 

ドレスコードを前もってチェックし、

その時間を楽しんだ方が絶対お得!