死も永遠の命も同じ事?“不滅のあなたへ”のフシと一緒に考える、『生きる』の意味

こんにちはLavenderです。

 

今日は、

読売新聞の“マンガの国”というコラムの

不死と変身 1

を読んで、

思った事です。

 

死と永遠の命は同じ?

不滅のあなたへ”のフシと共に『生きる』を考える。

 

永遠に死なない身体と、

出会った人が死ぬと、

その人の姿になれる能力を持った

 

フシという少年が主人公の漫画を

この記事で取り上げていました。

 

タイトルは、

不滅のあなたへ

です。

 

著者は、

大今良時(おおいまよしとき)さん。

 

私は、この作品を読んだ事はありません。

この新聞の記事で知ったしだいです。

 

これは、私達人間の永遠のテーマ

が込められた作品なのかもしれないと、

 

この作品に興味が湧きました。

 

死と生己と他者・・・。

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死と生は、真逆のようでいて、

そうではないのかもしれないなぁ・・・。

 

そう思いました。

 

フシは、

永遠の命が与えられた存在で、

永遠に生き続けられる

 

彼の生は、死とは真逆だと思いますか?

 

この記事の中にも書かれている、

手塚治虫さんの作品の、

火の鳥の登場人物の、

 

山之辺マサトが、

やはり、不死の命を与えられた者として、

 

人類が滅亡したあと、

30億年待って、

新しい人類の創世を目の当たりにする話が、

 

フシの運命との共通している部分

として紹介されていました。

 

30億年です。

自分以外の人間がいない世界に、

30憶年という時間をたった一人で生きる・・・。

 

これって、

生きていると言えるのでしょうか・・・?

 

永遠の生と死は、同じ事なのではないか?

そう思いました。

 

では、

永遠の生と、限りある生は?

 

真逆なのか?

それとも、同じようなものなのか?

 

逆ではないけど、

同じでも無い感じがします。

 

なら、限りある100才までの生と、

80才までの生とでは?

 

100才と50才では?

 

平均寿命が、

50才だった時代に、

 

80才まで生きた人は、

羨ましがられたのかもしれません。

 

結局、限りある生は、

 

他者との比較によって、

生きた長さが、

長いと思われるのか、

短いと思われるかに過ぎないのでは?

 

フシは、絶対に死なないので、

年月がたてば、

友情を育んだ人達との別れが、

必ずやってきます。

 

その中でフシは、

“生きる”。という事を、

どうとらえているのでしょう・・・?

 

作品を読んでいないので、

私の想像でしかないのですが・・・。

 

自分がフシなら、

 

自分が今生きている!そう感じるのは、

 

やはり、友人や家族と一緒に、

楽しい時間を過ごしている時と、

 

自分が成長してる・・・。

そう感じる時です。

 

つまり、

喜びを感じた時では?

 

なら、

人がいない世界で、

たった一人になってしまった時も、

 

自分が成長したと、感じる時は、

嬉しいのかなぁ・・・?

 

例えば、以前より難しい曲が弾けた時や、

 

難しい数学の問題が解けるようになった時や、

 

素敵な家を建て終えた時・・・。

 

一瞬だけ、嬉しく思うかもしれません。

 

でも、

誰も、聴いてくれない。

誰も、褒めてくれない。

誰にも、見せる事が出来ない・・・。

 

時間は永遠にあるのだから、

暇つぶしに何かをすると思うけど、

 

自分の成長を喜ぶためにも、

やはり、

他者の存在が必要不可欠

なんでしょうね・・・。

 

さらにフシは、

忘れたくない大切な人が亡くなった後、

その人の姿になれる能力があります。

 

その人の代わりになって生きようとしても、

姿こそその人になれても、

心がフシである限り、

 

別の人の人生を生きるのは不可能。

 

結局フシの人生になってしまいます。

 

己と他者は別な人間なんです。

 

私達一人、一人は、

唯一無二の存在なんですね・・・。

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💛 Cancer Gift 💛

自分の人生の長さが、

長いか、

短いかを問う事に意味は無い!

 

いままでも、これからも、

私は唯一無二の存在として、

 

他者と楽しく付き合いながら、

人生を全うするだけ!

 

今ある命を生きて行くだけ!